夫婦を為すのも女の戦

一方で、そんなことが許されず辛苦を舐めるそれ以下の人間は、上に対してはコピペつらい、下に見る奴に強く出るのは処世術ではありますが、見る人は見ています。もちろんお天道様も。

 

昼間っから女といちゃついて、お天道様どころか渡辺盛綱に見られちゃって、バラされたら、腹を切る覚悟くらいするよね鳥居元忠サンも。

 

 

武田方の忍びとして活躍した千代が、鳥居元忠の妻になるというご都合主義的な展開はどうなのよ?とは思います。

 

しかし、この時代の常として、男は簡単に死んでしまいますから、夫に先立たれた未亡人は、必然的に増える。

 

家康側室の淤愛様も、秀吉生母の大政所様も、夫に先立たれて再婚です。

 

「どうしたらいいんですか?女は!」

 

それが今回の最重要テーマだった様に思いました。最後にぶっ飛ばされてしまいましたけどね。

 

女一人ではトラクターで畑を耕すことも出来ず、権利を守ってもらえないこの時代でやれる職業は限られていますから、誰かの妻になるのは生きるための手段であった。

 

一方で重婚は禁止されてませんので、男は器量次第で複数の妻を持てる。

もちろん、それ故に、妻の方も主人に捨てられないために、結婚した後も競争があり、三食昼寝付きの専業主婦にはなれない。よっぽどの容姿とかソの手がなければ。

 

レンジでチンすれば食い物にありつけないこの時代に火事全般を担わせる家政婦は不可欠でした。

 

そして病気や戦で軽々しく死んでしまう子供を増やし、子孫繁栄をはかることは、自分の命より大事にしていました。

 

そもそも女が子供を産まなければ、人は絶対に増えない。仕込んだだけじゃダメなんですよ。

 

しかし出産そのものが、母体の生死に関わる危険性も、現代とは比べようもないほど大きかった時代です。

 

自分も他人もあっさり死んでしまうこの時代ならなおのこと、人を増やすのは産んで増やすのが第一。

 

ついで、敵ではなく味方を増やし、その味方の子供を増やし、また、減らさない様にしてゆくしかない。

 

 

武田の工作員として徳川家の敵だった女(千代)に対して、家康夫妻から名言が出ました。

 

「幸せになるのは生き残った者の務めである。」(家康)

 

「人が生きるつらく苦しい茨の道の中で、したい慕われる者のあることが、どんなに幸せであることか。それを得たのなら、大事に」(淤愛)

 

 

豊臣家は、少ない身内が死んでゆき、殺されていきます。恩を施した味方も減っていきます。この大河ではそもそも黒田官兵衛もいないのに!(しつこい)

 

徳川家は、身内も味方も増やして、戦をせずに、いつの間にかパワーバランスを逆転させていきます。あれ?その中には官兵衛の息子の長政が!

 

その過程は、関ヶ原大坂の陣の戦闘シーンよりも、ずっと見ものじゃないでしょうか。